習い事、させる?

幼稚園、保育園の頃から、習い事に通う(通わされる?)子どももいますが、小学生になると、がぜん、多数派になってきます。住んでいる場所の地域性にもよりますが、ある程度の規模の街に住んでいれば、いろいろな種類の習い事から、良さそうなものを選ぶことができます。

スイミング、ピアノ、英会話教室あたりがポピュラーでしょうか。

なかには、忙しく日替わりで毎日どこかへ通う、という子どももいます。

どうして習い事に通わせるのか、というと、「本人の希望で」「どうせヒマだし、ゲームしてるぐらいなら、何か習った方がいいかと思って」「自分が英語が苦手だから、子どもには得意になってほしくて」

なるほど〜。

子どもは、お母さんとお父さんが大好きで、とくにお母さんが大好きだから、「自分の希望」と「お母さんの希望」が、渾然一体となってしまうことが少なくありません。

「ピアノが好き」と言っている子どもの中には、本当にピアノが好きな子どもと、「お母さんは、ピアノが好きな子どもを好きだから、私はピアノが好き」な子どもがいます。子どもはお母さんを無条件に愛しているので、最優先で、お母さんが喜ぶことをしたいんです。もちろん、本人はそんな風に意識して考えたことはないでしょう。べつに問題ないでしょうか?

そうですね。どんな理由でピアノを習うのだとしても、ピアノを弾けるようになることは、その子どもの人生を豊かにするのに、きっと役に立つでしょう。

でもね。
ほんとうは、あんまりピアノが好きじゃないとしたら。他にやりたいことがあるんだとしたら。「今日は、お稽古に行きたくない」ということも、きっとありますよね。しかも、そういうことが続いたりして。やめたい、って言うかも知れない。そんなとき、どうしますか?

「あ、そう。じゃあ、もうやめましょうか」とは、なかなかいかないですよね?せっかく、ここまで通って、ここまで弾けるようになったのに。なんとか、なだめて、すかして、教室に送り込もうとしてしまうと思いませんか?お月謝がもったいないし。

そうなると、なんだか風向きが変なことに。子どもの方は、だんだん「ピアノ教室に行ってやってる」みたいなことに。こっちは「ピアノ教室に通ってもらってる」みたいに。いつの間にか、ピアノ最優先、のようなことに。

これって、不自然ではありませんか?

もしも、その子どもがほんとうにピアノが好きなんだとしても、ピアノ最優先、ということになると、なにかと不自然なことになってきます。

いちばん困るのは、子どもがだんだん大きくなってきて、生活のあらゆる技術を身に付けるためのお手伝いが、本格的に出来るようになる頃、忙しくてお手伝いが出来ない、またはくたびれてしまってお手伝いが出来ない、ことだと思います。

文部科学省に「生きる力がうんちゃら‥‥」と言われるまでもなく、おとなには、子どもに生きる力を身に付けさせてあげる義務があります。生きる力と、生活の技術とはイコールではありませんが、それ抜きには語れない、大事なことですよね。生活の技術の伝承は、時間のかかる、労力のかかる仕事です。そして、生活の技術の一通りを身に付けることが、その子の一生の幸せを支える土台だと思っています。

ほんの50年前なら、子どもの手伝いがなければ、家の中がどうにも回らなかったものだと聞きます。子どもも、立派な生活の担い手のひとりだったわけです。

あらゆることが便利になり、子どもの手伝いなどなくても、家の中が回らない、ということはなくなりました。その分、むしろ意識して子どもが参加できる場面を作らないと、自分の家の炊飯器でご飯も炊けない、洗濯機も自分で動かせない中学生など、今どき珍しくもありません。

子どもではなく、おとなが、何が最優先なのか、よくわかっている必要がありそうですね。

「勉強と習い事だけしていれば、大威張り」と思わせてしまうのは、大人の方だから。