Gくんの場合〜真夏、自宅

四人目の子どもは、二番目の子どもが小学校に入学して、最初の夏休みでした。暑い夏でした。

上に三人の子どもがいるので、休みなく動き回っていて、元気な妊婦でしたが、お腹が大きくなるのが早くて、7ヶ月の頃には、臨月のような大きなお腹になりました。「やっぱり四人目ともなると、伸びやすいのかもね〜、お腹が」なんて言ってました。

予定日が近付いて、すっかり準備万端整ったところに、陣痛が始まりました。前日の昼間から、なんだか食欲がなくて、下痢もしていました。一晩明けて、朝ご飯を食べないうちにお産になりました。これが後から少し悔やまれることになります。

三人目のお産までは、陣痛が強くなってきたら、私も一生懸命にいきんで、早く生まれるようにしてあげなきゃ、と思っていました。だけど、どうやらそれは誤解で、むしろ赤ちゃんの邪魔をしないように、力を抜いて、身体をゆるめることに集中した方がいい、と考えるようになり、身体が、産道がゆるんで柔らかくなる姿勢をくふうしたり、花が咲くようなイメージをふくらませて、お産に臨みました。

それが功を奏したのか、四人目でそもそも産道が広がりやすくなっていたのか、赤ちゃんが上手だったのか、とにかく進行の早いお産でした。

そろそろだよ、と岸助産婦さんにうながされてやってきた子どもたち、9歳、7歳、2歳の三人、口々に「生まれるって」「もう生まれるんだって」と言いながら、自分はどこで見学参加しようか、まだ決めかねているうちに、ほんの一度か二度、軽くいきんだだけで、すーっと生まれました。

「わーっ、生まれた」「男の子だ」「‥‥」2歳の子には、事態がよく飲み込めなかったようです‥‥

生まれた赤ちゃんは、私の父に似ていました。少し泣いて、泣きやむと、目を開けて、きょうだい達の方をじっと見ていました。

しばらくして、へその緒のドクドクするのが止まってから、岸助産婦さんが「へその緒を切りますか?」と、上の子達にハサミを持たせてくれようとしましたが、どの子も遠慮して手を出しませんでした。今回も、夫がへその緒を切り、産湯をつかわせてくれました。

さかんに、お腹が空いたと訴えるので、お乳を含ませますが、まだほんの少ししか出ません。お水を飲ませると落ち着きますが、またすぐにお腹が空いてしまいます。しまった、私が空腹のままお産になったので、赤ちゃんも血糖値(?)が低い状態で生まれているんだ、と気が付きましたが後の祭りです。

なにしろ、それまでで一番、泣き声の大きい赤ちゃんでした。ご近所の皆さんに、赤ちゃんが生まれたことがすぐに知れ渡るほどでした。

おじいちゃんおばあちゃんが、かわるがわる赤ちゃんの顔を見に来て「与板のお父さんにそっくり!」と言って、そーっと小さな手と握手して、頭をなでて帰りました。当時、脚を悪くしていて階段を上ることが出来なくなっていた義父も、無理やり階段を上って二階まで来て、「ほっほっほ」と笑って頭をなでて帰りました。

生まれたのがお昼前で、あまり眠らないまま夜になりました。私のとなりに2歳の子を寝かせていたので、反対側に赤ちゃんを寝かせることにしました。

夜中に、赤ちゃんが泣き出しました。大きな泣き声です。お腹が空いたのですが、お乳を含ませてもまだおっぱいはあんまり出ません。どうにかなだめて寝かせようとしていると、2歳の子が起き出して赤ちゃんの枕元に正座をして、赤ちゃんの顔をのぞき込みました。どうするのかな?と見ていると、両手の甲を目に当てて、しくしく泣き始めました‥‥とんでもないことになっちゃった、と思ってるんだろうなぁ、とおかしくて、気の毒なんだけど、つい笑ってしまいました。

このときの赤ちゃんは、四人の子どもの中で一番大きな声で、一番よく泣いて育ちました。